たんけんすわのまち 始動編2

諏訪巡りもいよいよ本番。上社周辺をメインに深い所まで回ってみようと思います。

上社は下社と違い駅前にはないため、交通手段は考えないといけません。
車を使えばいいんですが使えない場合はバスということになるんですが……

上社へ行くバスは二つあり、上諏訪駅からでるかりんちゃんバス(市内循環線)か、
茅野駅から諏訪バス(大熊行き)に乗ることになります。
ただし、諏訪バス大熊行きは平日のみの運行らしく、
日曜日に行動した私はやむなくかりんちゃんバスを利用。
かりんちゃんバスでは上社本宮の前(上社前or神社前下車)に行くことができます。
前宮へはそこから20分ほど徒歩になります。
ただ私のように本宮より先に前宮に行きたいという酔狂な人がいる場合は
わかされで若干近いです(それほどでもないけど)
前宮へ直接行くバスが運行しているかは不明です。
少なくとも前宮周辺にバス停はなかったような……

しばらく道を進んでいるとファミリーマート発見。水分補給は欠かせないため
ポカリスエット購入。向かい側を見ると

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いよいよ近づいて参りましたな!
というかこの看板のすぐ近くでした。前宮は。

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前には荒玉社と駐車場がありドライバーやライダーの方々が何人か。
鳥居をくぐり階段を上ると

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案内板があるのでチェック。こうしてみると大社の中では一番小規模な前宮ですが
周りにもいろいろあるんですねぇ…
なぜかは後で徐々に分かっていく訳ですが!

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※下の円上の光は私の指が入ってしまったものですm(_ _)m

案内板近くの階段を登ると見えてくるのが御頭祭で使われる十間廊。
ここに七十五頭の鹿の頭等が供えられその中には
必ず一頭耳の裂けた鹿がいるという上社七不思議の一つに関係します。

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その右にあるのが内御霊殿
諏訪明神の神霊を宿す御神玉が安置されていたとか。
道を挟んで向かいには大祝諏方氏が住んでいた神殿(ごうどの)跡があります。

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奥まで進むと本殿へ。看板にもあるとおり、前宮は本宮ができる前の宮という
意味があったのか、昔は前宮の法が規模が大きく重要視されていたようです。
その名残か案内図には沢山見る所が書いてあった訳ですね。
この奥には祭神である建御名方神と八坂刀売神の墳墓があるとのことですが
当然禁足地のため見ることはできません。

本殿横には水眼の清流があります。

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神事の際に大祝はこれで身を清めていたらしいですね。
この源流はここから先、守屋山を登った所にあるようで、
その途中にも山の神古墳等があるようですが、山登りをする気にはなれず。
そもそも組合員以外の入山お断りとか書いてあったので
一般ピーポォは登らない方が良さそうだ。 厳密には前宮のご神体は守屋山そのものとも言われているようでここから先は本当に
聖域となるんでしょうね。荒らす訳にもいかないので前宮はここまで。
代わりに御柱を確認。

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さすがにこちらは四本とも拝めました。と言う訳で入り口へと戻るんですが
そこで左側を注意してみると

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神事の際に必ずお参りが行われるという溝上社が。
前宮本殿の他、ここと柏手社(確認忘れましたが)は
非常に重要なポジションに位置しているようです。
看板には神の足跡石というものが書かれていますがちょっとどれか分かりませんでした。
ちなみに溝上社、最初場所が分からず道を下りすぎて
住宅街に出てしまったことは内緒だ!
そちらにもお社がありましたがあれはなんだったのかな?

前宮を出て本宮への道を進んでいくと先ほどスルーした神長官守矢史料館発見。
諏訪大社の祭祀をとりまとめていたのは
建御名方神の子孫と言われる大祝諏方氏でしたが、
実際に儀式を執り行っていたのは洩矢神の子孫と言われる神長官守矢氏だったそうで。
その守矢家の一部が現在は史料館として解放されています。

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敷地内に入るとすぐ左手には祈祷殿が。

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この祈祷殿にて神長が祈祷調伏を行ったほか一子相伝で伝えれる
祭祀方法の秘伝が伝承されたとの事ですね。
明治時代に神長官の役職は廃止され今はその秘伝も廃れてしまったようですが……

守矢家敷地内からは何人か見学者と思しき人たちが
出てきたので結構来る人はいるんですね。
まあ史料館内部まで見学してた人は私ぐらいでしたが……

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入館料は100円とお手頃で中には御頭祭で使用した鹿の頭(剥製)や
鹿の肉、脳漿等お供え物やらサナギ鈴、薙鎌と言った祭具が
常設展示されています。撮影していいかどうかが分からなかったので
史料館外観しか撮っていません。まあ自らの目で確かみてみろ!ということで(笑

入館時にパンフレットと企画展示のプリントを渡してくれました。
今の企画展示は写真の通り守矢家所有の古文書を元にした諏訪大社の神事である
御射山祭についての紹介でした。
御射山祭そのものは現在も八月末に行われているようですが、
かつては狩り等が行われる盛大な祭りだったとのこと。
更に昔はもっと華やかな祭りだったらしいですが。
資料やプリントには祭の行われ方や進行役の担当者割り振り、
祭に使用する社殿等の位置を示した地図等も記載され
なかなか興味深いものとなってます。

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史料館から離れた丘の上には御頭御射宮司総社が。
ミシャグジ様(ミシャグチ、みさく神とも)をお祀りしているお社です。
御射宮司社はここ以外にも諏訪各地にあり、真ん中の写真のような石祠は
上社周辺の至る所にあります。
やはりミシャグジ信仰の根強さが見て取れます。
さらに奥の方には古墳(石室)があります。

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看板の写真が斜めなのは非常に足場が悪い所に立っているためです。
ミシャグジ様は縄文時代から信仰されていたとのことですが
ここにある古墳もなんらかの関係がありそうですね。

一度史料館の敷地を出て少し進んだ先の道を行くと

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歴代大祝諏方の墓所があります。
何故守矢家の近くに諏方家の墓所があるのか気になりましたが
調べてみると両家の関係と思惑が見えてきました。
ううむ。なかなかディープな感じになってきた。

このまま山を登っていくと諏訪七石の一つ、小袋石と磯並社があるとのことですが
場所が分からず山登りするのも辛いので断念。
案内板等は一切ないので下調べがないと見つけるのは難しそうです。
守矢史料館で話聞いておけば良かったなぁ。

神長官守矢史料館を後にし再び本宮へと向かいます。
途中で大きな屋敷があったのでチェック。

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権祝(ごんのほうり)邸と書かれた家ですが調べてみると
諏訪神社には大祝を筆頭としてその下に五官として
神長官、権祝、禰宜(ねぎ)太夫、
擬祝(ぎほうり)、副祝(そえのほうり)という役職がありました。
このお屋敷はその一つである権祝矢島氏の家だったそうで。
今は立ち入り禁止のようですが。
近くには矢島氏発祥の地と記された石碑もありました。

さてここから更に道をいくとようやく見えてきました。上社本宮です。
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しかし時刻も12時半。朝食はしっかり取りましたがさすがにお腹もすいてきたので
道の向かいにあった食堂で昼食。やっぱり腹が減ってはなんとやら。

さて準備も万端、早速本宮へ入ります。

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前宮から歩いてきた場合、この正門から入ることになります。
車で直接本宮に来た場合は土産物屋が立ち並ぶ方向から入ることと思います。
あっちの方が華やかですけどね。

正門から来た場合はそのまま廊下を通り本殿へ向かう訳ですが、
普通はその前にその廊下の入り口まで回り込む必要がある訳で
その途中でいろいろ施設を観ることができます。
ここはそれに従って紹介していきましょう。

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鳥居をくぐって最初に見えるのは一之御柱。
さてこの御柱、来年立て替えの御柱祭が行われる訳ですが、
この木はもみの木ということです。
実は御柱祭の準備自体は既に始まっており、御柱に使われる木の選定から
切り出し、加工は終わっているようです。
それを来年山から下ろし大社まで曳航してくる訳ですね。

御柱の裏には諏訪七石の一つ、御沓石が

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しかし看板などは立っておらず普通の人は気付かずスルーすると思われるのですが……
ここでは諏訪明神が馬に乗ってやってきた時の蹄の後が残っているそうです。
後ろにあるのは天之坂鉾というそうで、ここに石を投げて一回で乗ると願いが叶うとか。

???「ところで相撲の起源は建御名方神と建御雷神の力比べらしいぞ」

何!知っているのか、雷電!?

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と言う訳で大横綱、雷電為右衛門像が。そういえばちょっといった先に
土俵もありましたね。チビッ子達が相撲取って遊んでました。

向かいをみると上社七不思議、お手水こと天流水舎があります。

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この内部の穴からはどんな日照りでも一日三回は雫が落ちるそうで、
それを持って帰って雨乞いをすると必ず雨が降ると言われています。

雷電像から池を挟んで神楽殿が見えます。

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非常に大きな太鼓が置いてありますがこの太鼓は一頭の牛の皮で作られているとか。
今はどこ探してもここまで大きな牛はいないでしょう。

さて下社では見られなかった筒粥殿ですが、上社の方は見ることができました。

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と言っても上社の筒粥神事は既に廃れており、今は遺構残るのみ。
っていうか跡すらわかりません。さらにその向かいには

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御頭祭に併せて農民達が池に種籾を投げ入れ占いをした
五穀の種池があります。水は今は張っていないですけれども。
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廊下前まで回ってくると二之御柱が見えます。
また、一回外に出ると御手洗川がありますね。

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蛙狩神事の際にこの川には必ず蛙がいるというのが上社七不思議に入ってますね。
そんな川ですが看板等はないので用水路と間違えられるかも……?

ここからは参拝の順路となります。まずは

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ここから廊下を進んでいきます。最初に目に飛び込んでくるのは
本宮一之御柱の木落しを行った目処梃子が展示されています。

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そこから進むと……

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座薬発見(笑)
月の兎でも来てたんでしょうかね。てなことを考えてるとその隣に

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大変な美男子と言われている兎たちの憧れ、
大国主命(ダイコクさま)がお祀りされてました。
手長神社の図を見るとおり建御名方神は大国主命の息子なんですよね。

さらに隣に東宝殿があります。

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もう一つ、西宝殿もあるようですが現在改修中で撤去(?)されてました。

この東宝殿横には四足門があり、東宝殿と四足門の間から
諏訪七石の一つ、硯石が見えます。

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こちらは案内板もありまだ分かる方でしょうか。
そういえばこの日、本宮で結婚式が行われていたようで、
ちょうどこの硯石の下の方で式が進行中でした。
写真には納めないよう配慮してありますが

廊下を抜けると拝殿が見えてきます。

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こっちの拝殿殿の写真は式が始まるよりももっと前に撮ったものです。
まずは参拝。横の絵馬は相変わらずケロちゃん率高し。
あとは早苗さんばっかりですね。神奈子様が少数とはいえあったのが救いか。

拝殿奥は神居となっており立ち入りのできない禁足地です。
外から見る感じは木々が生い茂っているだけのように見えますが
中には大きな石があるとも言われており想像が膨らみます。

本殿近くには穀の木が

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諏訪大社では重要な木です。調べてみれば面白いかも?

本殿近くには宝物殿がありましたが入場料結構高いですな!
今回はスルー。中には素敵アイテムが沢山展示されてるみたいですが。
守矢史料館にあった地図の本物とか。あっちはコピーのコピーだし。
その地図では本宮周辺はむしろ近くのお寺がメインであり、
諏訪信仰の中心は前宮であったことが見て取れます。

さて諏訪大社も神社である以上はおみくじもあります。
早苗さんが投げまくって武器にしてますが。

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一回三百円と結構いいお値段。
中には普通のおみくじと翡翠の石が入っている豪華仕様。
値段の高さもそのありがたみが増すと言うことでしょうか。

ここまでが上社本宮となっています。え?御柱が二本足りないって?
まあ確かにわかりにくいですからねぇ。案内板には書いてあるんですが。

四之御柱は神居付近に立っているので見にくいです。
正門左の道を上って法華寺境内からなんとか上部を見ることはできます。

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三之御柱は勅願殿と宝物殿の間から見えるようですが……

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これで合っているのかちょっと自信がありません。場所的にここだと思うんですけどね。
冬場などで葉が落ちてくれば多少見やすくなるので分かりやすいと思うんですが……

そういえば宝物殿裏に小さな石祠がありました。

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鳥居もあるしちゃんとした謂われがあると思うんですが、何でしょうね……

※追記:調べてみたら鹿人(神様に供える料理を作る職)の一族、
金井家の人が作ったお社らしく、
ここだけ飛び地で諏訪大社ではないという一風変わった場所のようですね。
ちなみに下の土嚢はここで土砂災害があったらしく工事中のものです。
そのため近くまで立ち入りできなくなっています。

さて上社だけで結構なボリュームになってしまいましたが
諏訪巡りはまだまだ続きます。
それは次回にて。


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