たんけんすわのまち 下見編1

御柱祭の下見と大社へのお参り、そして呑み歩きのため
半年ぶりに諏訪に行って参りました。
今回はかなり諏訪について勉強し、計画を立てたので
結構濃密な内容になってしまいました。
日帰りとはいえ一回で取り上げるにはボリュームがありすぎるので
三回に分けて取り上げていこうと思います。

ということでまず向かったのは上社御柱祭山出しにて木落としが行われる木落し坂公園。
茅野駅から徒歩で十数分ほどですが、当日は混雑するでしょうから
多めに時間を見積もった方がいいでしょう。

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さすがDSC-HX1の光学20倍ズームだけあってかなり遠くから撮影しましたが
余裕でカメラに収まりました。川の対岸では桟敷席の工事真っ最中。
地上数メートルという話でしたが実際見ると3階建ての家くらいの高さはあったかと。
私が購入した非公式の桟敷席は住宅街の真ん中にありましたが、
高さは同じくらいだったので中央本線に邪魔されることはなさそうで安心。

公園には工事中なのか近づけそうになかったので茅野駅に戻り前宮を目指します。
御柱祭当日は基本徒歩ですが今回はあまり時間に余裕がないためタクシーを選択。
時間を金で買う大人の嫌な性分が……
ちなみに茅野駅〜前宮で1,200円くらいです。ご参考までに。

まずは駐車場内にある上社摂社の一つ、荒玉社へ。
この間の野出神事に参詣されるということですが、
どうも現在は本宮にあるもう一つの荒玉社で行われているようですね。
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前回チェックした溝上社もチェック。
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生い茂っていた草も無くなり雰囲気がまるで違います。
下の写真は溝上社の看板に記載されていた神の足跡石でしょうか。
障害物がないと見つけるのも簡単でした。
よく見ると真ん中に窪みがあります。足跡にしては大きいですが……
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ところで前宮の看板には神殿跡との表記がされていますが、
戦国時代以前、大祝は現在の大祝邸に移る前は前宮に住んでいたため
神の住む場所として神殿(ごうどの)の名を持っているようですね。
ちなみに大祝の住居兼墓所も兼ねていたようで
昔は自然石の墓石が数多く置かれていたとのことですが
今はその姿を見ることがありません。撤去されたのかな?

今回は以前とは違ったルートを通ろうと言うことで、
かつての御頭祭で神使(おこう)さまが歩いたと言われる御手祓い道を通ってみることに。
今は道無き道ですが案内板に赤線で目印を付けました。

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このルートを三回、反時計回りに回ったとのことで、
私も一回ですがそのルートで回ってみました。

まず見えてくるのは蛇塚。
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といっても石が積み上げられているだけにも見えますが……
案内板には有力者の墓とされているので太古の大祝の墓かもしれません。

さらに進んで少し道を外れますが、上社古図にもある弓立石があります。
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昔の神事で狩りを行った際に弓を立てかけた石でしょうか。
案内板を見ると大祝家の庭石にも見えてきますが、それじゃああんまりですし。

そのまま進むと内御霊殿の後ろに出ます。
そこから脇道に逸れると
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大祝の即位式が行われたという鶏冠社があります。
そう言う意味では前宮でも重要な意味を持つ場所でしょうか。

御手祓い道はこのまま十間廊の後ろへ回り、
本来は前宮本殿には行かないのですが
せっかくなので道を外れ本殿へ。
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久々の本殿です。雪解け水が流れ込んだのか、横の水眼の清流も
勢いが強く感じられます。
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こちらは在任期間残り僅かの前宮の御柱。
↑は一之御柱ですが、三之御柱の近くから本殿方向を見ると
玉垣に囲われた一画があります。
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写真ではちょっと見にくいでしょうか。これがご神体である諏訪明神の御神陵ですね。

御手祓い道に戻り坂道を下って神願門跡の脇を抜け、
元の場所に戻れば御手祓いルートは終了です。
しかしこれだけでは物足りないので旧参道である中小路を上った先にある
柏手社を見に行きます。
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前宮からは少し離れた見通しのよくない場所にあるので
見つけるのに苦労しました。
昔はここで神撰を用意していたと言うことですね。

さて今度は前宮を挟んで反対側に行きます。
ここには上社末社である子安社があります。
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安産祈願で有名らしく、底のない柄杓を納めるそうです。
ちなみにその柄杓は本宮で売っていました。

この子安社と道を挟んで反対側、急斜面の上の方を見ると……
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所政(ところまつ)社があります。小さな石祠ですが、実は諏訪大社上社摂末社では
上十三所の一、即ち三十九ある摂末社の筆頭にくる神社です。
二番目が前宮なので、それを差し置いていの一番に記されるとは
それだけ重要な神社なのでしょうか。

前宮本殿の右手に見える墓地の横から神使さまが通ったとされる鎌倉道が延びており、
そのまま進むと峯の湛に行くことが出来ます。
が、完全に山道のため土地勘のない私では危ないと思ったため、
いったん前宮から出て前宮公園から向かうルートを選択しました。
これがかなりきつい坂道。体力の大半をもって行かれましたが、
何とか峯の湛に到着。
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諏訪七木で唯一木があるのがこの峯の湛ですが、
他と違い峯という特定の植物を指した言葉ではないため
現在峯の湛とされている場所になるイヌザクラの木が
それであるかは不明とのこと。
何年か前に一回折れたらしくその後がありますね。
木の根元には石祠が二つあります。ついでに看板も二つありました。
看板を設置した組織が違うのですが他と違いなぜ別々に設置したのでしょうか……

スタート地点は変わってしまいましたが、ここからは鎌倉街道を通り
神長官屋敷を目指します。このルート、なかなか面白いものが沢山発見できるんですよ。
しかしキリがいいので今回はここまで。続きは次回で。


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