たんけんすわのまち 下見編2

第二回は鎌倉街道を通って神長官邸を目指し、
そこから磯並四社へ向かった後本宮へと進みます。

峯の湛から鎌倉街道を進んでいくと小さな石祠が見えてきます。

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案内板が無いので気付きにくいですが、ここが権祝矢島氏の邸宅があった場所です。
今の権祝邸は後に移転した場所という事ですね。
ちなみに上社古図によるとこのあたりに風祝が風鎮め神事を行った
風無神袋塚があるらしいのですが、それらしきものは見あたりません。

さらに進むと山へと向かう道があります。ここを登ると小袋石があるのですが、
それは後回しにしてこのまま進みます。
道を下り本宮へと続く県道に入る前にある大祝墓所は前回チェックしましたが、
ここにたどり着く少し前に大きな墓地があります。
ここが熊ノ堂と呼ばれる共同墓地で、神長官守矢氏の墓所があるところです。
共同墓地なので写真は撮っていませんし正確な場所も書きませんが、
守矢氏の墓所は道に沿う形で比較的広い区画を割り当てられており、
他の墓とは墓石の形が異なる自然石で、
守矢家の墓であることを示す石碑もあるので見つけるのは難しくないです。
権祝矢島氏の墓所もここにあるようですが、こちらは見つかりませんでした。
神長官の墓所はもう一つ、夏直路廟と呼ばれる場所が小袋石付近にあるようですが、こちらも未確認です。

まあ、お墓の話ばかりをしていても仕方がないので鎌倉街道から出て県道を戻り
二回目となる守矢史料館を見学。
今回は係の方が常設展の御頭祭の再現について解説してくれました。
前回はパンフレット貰っただけだったので今回は運がよかったのかな。
さすがに守矢史料館にお勤めということで諏訪信仰の裏事情にもお詳しい様子。
色々質問もしてみたかったのですが今日は他にも二組ほど見学者がおり
忙しそうだったので断念。企画展の御柱祭を記述した守矢文書を見てから
前回は買いそびれた神長官守矢史料館のしおりを購入。値段は200円とお手頃。
内容はあまりディープなところに触れず分かりやすくまとめているようなので
初心者の私でも安心して読めそうです。
もっと深いところを探るにはそれなりの書籍を読む必要がありますが、
高い上にそうそう売ってないですからねぇ……

おっと文章が続いてしまったのでここで写真を出しますか。
まずは二回目の御頭御社宮司総社
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前回は気付かなかったのですが、この後ろに柵で囲まれた場所がありますね。
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ここには枯れてしまった大きな梶の木があったとか。ううむ。残念。

さて神長官屋敷を出て次は小袋石と磯並四社を訪ねます。
磯並社祭ではまず下馬社の参詣から始まるとの習わし通り、まずは下馬社へ。
神長官屋敷の近くを流れる川(下馬沢)を下り、日野リネンサプライの少し前、
隣の小道の大きな木の傍らに下馬社があります。
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次は下馬沢を遡り先ほど通った鎌倉街道を横切って山の上へ向かいます。
これが坂道が急な上距離が非常に長い。1〜2Kmくらいあるんじゃなイカ?
正直夏には来たくないです。いや夏でなくても暑い日だと苦行に近いです。
自転車で登るのはさらに厳しいので車を使った方が無難。
しかし徒歩だと道の近くに多数点在する古墳を見ることも出来ます。
まあ今回の目的ではないのでスルーしましたが(笑
かなり山を登りようやく小袋石の看板が見えてきました。

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木々の間から一際大きな石祠が見えます。これが磯並社ですね。
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この磯並社の前を通り奥に行くと瀬社があります。
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他の石祠と異なり屋根を支える柱が無いのが特徴。
次は磯並社横の急坂を登ると足場の悪い場所に穂股社が鎮座しています。
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そして最後、坂を登り切った先にあるのが玉尾社。
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以上が磯並四社になります。おっと、小袋石を忘れてはいけませんな。
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でかッ!名前は小袋石なのにめちゃくちゃ大きいです。
石の近くにある石祠は先ほどの玉尾社です。
この小袋石、別名舟繋ぎ石とも呼ばれ、石の先端に舟を繋ぎ止めたと言うことですが…
となると昔はこの付近まで諏訪湖があったことになります。
昔の諏訪湖は今より遙かに大きかったことは知っていましたが、
これだと茅野市一帯は湖の底だったことに……

磯並四社はチェックしましたが、まだ終わりじゃありませんよ。
一度車道に戻り、さらに山を登っていくと斎場(火葬場)静香苑が
ありますが、この駐車場の向かい、坂道の下の方に石祠があります。
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これも上社摂末社の一つである磯並山社です。

ここまで見て茅野市高部の見学は終了。山道を下り県道に合流して本宮へ向かいます。
さて県道に入ると権祝矢島氏のお屋敷があります。こちらは前回チェックしたので
代わりに道の向かいを見るとなにやら小屋が見えますね。
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風穴小屋と言うらしいです。一般的に風穴小屋とは
天然の冷蔵庫のようなものらしいですがこれもそうでしょうか。
この風穴小屋の下、壁にめり込むような形で奇妙な石が。
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「矢」と彫り込まれたこの石、矢とは矢島の矢であり、
ここから先は権祝矢島氏の領分であることを示す目印のようです。
後余談ですが、今回は写真を撮っていませんが、矢島氏発祥の地という石碑が権野祝邸近くにあり、
それを見ると矢島氏の家紋が六文銭を使っていたことが分かります。
六文銭といえば有名なのは真田氏。諏訪は戦国時代は武田信玄の
領地であったことがありますから、武田配下の真田氏と交流があったのでしょうか。
この時代だと幸村(信繁)ではなく幸隆、昌幸の時代でしょうけども。
もっとも、六文銭は真田氏の専売特許ではないので単なる偶然の可能性もあるわけで……

もう少し進むとわかされに到着。横を見るとありましたよ。
数多くのブログで取り上げられながらその姿を見るや
参拝を尻込みしてしまうと言う北斗神社が。
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スンマセン。泣きたくなるような大階段です。さすがに二度の山登りをした私の足は限界に来ており、
昼飯前と言うこともあったため登るのはやめました。
しかし!カメラをズームさせれば……
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ほら、この通り(笑
はい、反則ですね。いつかはちゃんと登ってみようと思います……

さらに近くにある上社の摂社、若宮社をチェック
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本宮の前にもう一つチェック。
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何この空き地というツッコミが聞こえますが、昔はここに御柱祭里曳きの際に桟敷席が設けられました。
しかしこの桟敷席、一般ピーポォが座ることは許されません。
ここに座れるのは選ばれた人のみ。
そう、高島城主である諏訪藩主諏訪氏が御柱祭を見学するために設けられる桟敷席だったのです。
まあ、今はこの通り名残もありませんけどね。
ここから里曳きを眺めれば殿様気分に浸れるでしょう。
※追記:平成二十二年度の御柱祭では諏訪市の末裔の方が招待され久々に殿様桟敷となったようです

そしてようやく上社本宮へ。駐車場に二台ほど痛車が止まっているのを発見。
いつの間にかいなくなってましたけど。
前回も利用させて頂いた駐車場向かいの食堂、みやまで昼食。
本宮近くの食堂では比較的メニューが多いのでおすすめです。
和、洋、中取りそろえております。今回は呑みあるきを見越して軽くざるそばで済ませましたが。
さて本宮の鳥居前に謎の建造物があります。
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中を見るとテーブルと椅子のようなものがありカフェかな?と思いましたが
門がしっかり閉じられておりやっぱり謎です。
実はここ、きよめ茶屋の跡地らしいのですが……

次は本宮とその周辺を回っていきますが、
とりあえずここまで。次回を待たれたし。


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